使い終わった雑巾をしっかりと洗ってよく絞った後、テスタメントはそれを窓の外に少し張り出した手すりに干した。部屋を見渡せば、照明の傘の上には埃一つなく、また部屋の四隅もきっちり綺麗。畳も拭いたし、台所の床も水拭きしてワックスまでかけるという徹底振り。
「父上の部屋は荷物が少ないから掃除はしやすいが・・・少し寂しいな」
最低限の家具といって良い、ちゃぶ台と衣装ダンスが一つに、文机。食器を入れる棚が台所に一つ。今度花でも森で摘んで来ようか・と考えながら、テスタメントは掃除に使った道具を片付ける。
今クリフはいない、散歩にいくと書置きをして出ている。テスタメントが部屋を訪ねると鍵がかかっておらず、ちゃぶ台の上に紙一枚。無用心なようだが、此処はそういった心配が一切ない場所でもあり、テスタメントは小さく苦笑いを零すだけに止めた。
掃除を終えたテスタメントは手を止め、時計を見た。まだ夕食の準備をするには早い時間で、手が空いてしまったことに気づいた。どうしたものか・と考えると、ふと隣の部屋の気配を探った。薄い壁、気配を感じないということは留守らしい。隣の部屋・とはジャスティスがいる部屋、いないというのならその隙に部屋を掃除してしまおう・とテスタメントは考えたのだ。ジャスティスはまず部屋を汚すようなことはしないのだが、ジャスティスの部屋にはヴィーが入り浸っている。それに何もしないでも埃などはどうしても溜まるものだ、テスタメントは掃除道具のいくつかを持つと、立ち上がった。
クリフの部屋同様鍵はかかっていない、きぃ・と小さな音を立てて木のドアを押し開ける。小さな台所と八畳の部屋一つという狭い部屋なのだが、今その台所から八畳に続く曇りガラスの引き戸はしっかりと閉められていた。
完全に油断していた。
「・・・・」
「!ジャ・・・・スティス、いらっしゃったのですか・・・」
あまりに驚いて、思わず持っていたバケツを取り落としてしまい、ガラン・という音が部屋に響いた。ジャスティスはテスタメントが持っていたそれを見て何をしに来たのか察したらしく、何もいわずにすぐに持っていた本へとまた目を落とした。
「気配がなかったので・・・・お留守かと」
そういってテスタメントは内心で歯噛みした、もともとジャスティスは気配を消すとまではいわないまでも極力押さえている。聖戦時からのそれは変わっていない。それを失念した自分を悔やんだが、とりあえずそれを表に出さないように努めた。
窓にかけられた薄いカーテンで直射日光を防ぎながら、ジャスティスは法術で生み出した小さな光源を明かりに、窓のそばで浮かんだまま足を組み、本を読んでいた。テスタメントの言葉に、本から顔を上げてテスタメントの方を見るが、それは一瞥といって良い短さで、また何もいわずに本へと戻す。テスタメントは出て行くべきかと思案していると、
「頼みはしない・・・・が、好きにすると良い」
本からは顔を上げないままジャスティスはそういうと、パラリとページをめくる。ハードカバーのその本は、本来ならなかなかのサイズなのだろうが、ジャスティスの手の中では小さく見える。
ジャスティスの言葉を受けて、部屋の掃除をはじめたテスタメントだったが、
「一体何の本を読んでおられるのですか?」
沈黙があまりに重くて耐え切れなかったテスタメントは、手を動かす合間にジャスティスをこっそりと盗み見ながら、そう声をかけた。ジャスティスは規則正しい感覚でページをめくりながら、
「法術学の古書」
と、短い返事。返事をしてもらえないか・とも思っていたテスタメントは、答えがあったことに少し驚いていたが、すぐに途切れた会話、沈黙。テスタメントの首を真綿で絞めるようだ。
こういう時、あの賑やかなヴィーがいれば・と思うが、今日は姿を見ていない。ヴィーは殆どをジャスティスと同じこの部屋で過ごすのだが、厳密にいえばヴィーの部屋は此処ではなく、クリフの隣だ。が、ジャスティスがこのアパートに来てからというもの、以前よりだいぶジャスティスが丸くなったというのもあるが、堂々と此処に居座るようになった。姿がないことが意外で、
「ヴィーがいないというのは珍しいですね」
「・・・・貴様の父親が呼びに来て何処かにいった」
「父上が?」
「本に集中したいのだが」
文句・というほどとげがあるわけでも嫌そうなわけでもないが、本から顔を上げてそういったジャスティスに、テスタメントは顔を青くした。
「あ、いや!すいません!」
「私が此処にいると邪魔なようだな、話し相手が欲しくて此処に来たのではあるまい」
そういうと、ジャスティスは持っていた本を閉じて転移しようと立ち上がった。
「あ!ちがッ!」
転移しようとしたジャスティスに慌てたテスタメントは、立ち上がり足元にあったバケツを蹴飛ばした。ばしゃ・という音と共に中に入っていた水が畳の上に零れそうになる。ひっ・とテスタメントが悲鳴を上げている間に、ジャスティスは手を振り、バリッ・と走らせた雷がその水を畳を濡らす前に蒸発させた。
「落ち着け」
緊張とストレスでもともと血色の悪い顔を更に白くさせて今にも泣きそうなテスタメントに、ジャスティスは短くそういうと、ちゃぶ台の上に本を置いた。
「もうお前が私の為に何かしよう・などと考えることはない。掃除など良いから帰るなり父親の部屋に行くなりすると良い」
「・・・・私はしたくてしているのです」
テスタメントの言葉に、ジャスティスは暫らく黙し、テスタメントはのろのろとした動きでバケツを拾うと台所でまた水を汲む。その背中に、
「私はもう誰にも何も強制するつもりはない・・・好きにしろ」
「しています」
「・・・いい忘れていたのだが」
「何をです?」
「あの子を・・・ディズィーを守ってくれたこと、感謝している」
背を向けていたテスタメントが、その言葉に急いで振り向いた時にはジャスティスはまた本を読み始めていた。
紅い日の光が部屋の中に差し込む頃、テスタメントは掃除を終えた。ジャスティスは読み終わった本を膝に乗せて、今は目を閉じている。時折たらした尻尾が揺れるのだが、恐らくは眠っている。
掃除道具を玄関脇においたテスタメントは、部屋に戻るとぺたりと座り込んで、眠っているジャスティスを見上げた。聖戦下ではこれほど近くには寝ているジャスティスには近づけなかった・と思いながら見ていたのだが、不意に外からカンカン・と階段を上る音が聞こえる。そしてさらには楽しそうな声。
「こんなの初めて喰ったー。ありがとな、じーちゃん!」
ジャスティスの寝顔をまじまじと見ていたことに気づいたテスタメントは、びくりと肩を震わせると、慌てて立ち上がった。ヴィーがなんと騒ぐか判らない。
ドアノブに手をかけて勢いよく押すと、バン・という音と共に手に何かの衝撃が来た。う゛という短い声も聞こえた。テスタメントは恐る恐るドアの向こうを覗くと、顔を押さえて蹲るヴィーがいた。クリフでなかったことに少し安心したのも束の間、もっと厄介だと気付く。
「いってぇー!何でテスタメントがジャスティスの部屋いるんだよ!」
小さな白い紙袋を抱えたヴィーは、ぶつけた鼻を押さえながら、テスタメントを見上げて睨んだ。その後ろではクリフがおや・と少し驚いた顔をしている。
「ジャスティスの部屋の掃除に・・・」
といった瞬間、ヴィーの舌の色にテスタメントは首を捻った。青いのだ。テスタメントはしゃがんでヴィーの頬を両手で押さえると、顎を引いて強引に舌の色を確かめると、やはり青い。
「何するんだ!」
抗議するヴィーを余所に、テスタメントはヴィーの手から紙袋を取ると、その中身を見て、絶句した。
「父上!これは駄菓子じゃないですか!こんなもの食べさせたら体に良くないのですよ?」
返せと跳ねるヴィーの手に届かないように、立ち上がって頭の上に紙袋を掲げながらそういうテスタメントに、クリフは苦笑いを浮かべながら、
「いやー、少しくらいなら平気じゃろ」
「それが積み重なれば同じことです!それに夕食前に食べ物を買い与えたりしないで下さい、きちんと食事を取れなくなるでしょうが」
これは没収・と紙袋を取り上げられたヴィーは、横暴だ・と力一杯テスタメントの脛を蹴りつけた。痛みで顔を顰めたテスタメントだったが、ヴィーの足元を見てまたも絶句する。
「ヴィー・・・靴は?」
「靴穿くのきもいからやだ」
「やだ・じゃない・・・!」
テスタメントはぴしゃりというと、ヴィーを担ぎ、台所の流しに運んだ。風呂などないアパートだ、足を洗うには流しが早い。くすぐったい・と叩くヴィーの攻撃に耐えながらテスタメントはヴィーの足を洗うと、クリフの部屋からタオルを取ってきて足を拭いてやった。
「外を歩いてきた足で部屋に上がったりしたら折角掃除した部屋が汚れるだろうが。大体裸足で歩いて周りには変な目で見られなかったのか?」
「気にするわけないじゃん」
「ヴィーは気にしなくとも父上には気にして欲しかった・・・」
項垂れるテスタメントに、クリフはまぁまぁ・とからから笑う。すっかりヴィーを孫のように甘やかしているクリフに、テスタメントははぁ・と溜め息を吐いた。
「食べ物を買い与えるのは控えていただきたいですね」
「しかしのぅ・・・・こう不憫な子じゃろ?」
「父上より年上ですが」
「時間が止まった様なもんじゃろ、あぁも何も知らないで。色々と楽しいことを教えてやりたくてのぉ」
ジャスティスと人を殺すことしか知らないで死んだのは事実、クリフがいうことも判らないでもなかったが、
「ジャスティス!テスタメントと二人きりだなんて・・・何か変なことされなかった?」
「失礼なことをいうな!!!」
帰ってきたヴィーの姿を見とめ、眼を細めるジャスティス。額をペチリ・と尻尾で叩き、
「あまりテスタメントを困らせるな」
ジャスティスの言葉に、ヴィーはハーイ・と渋々頷く。手をちゃんと洗いなさい・と流しを指差すジャスティスに、ヴィーはテテテ・と流しに向かう。手を洗ったヴィーにテスタメントはタオルを手渡し、ヴィーはサンキュー・といいながら手を拭く。
「・・・テスタメントは・・・母親のようじゃのぉ」
クリフの一言に、テスタメントは顔を蒼白にして、必死に否定しようとしたのだが、今の一連の行動を思い返して、無言で膝をついた。ショックから冷め切っていない様子だったが、テスタメントはよろよろと立ち上がるとクリフの部屋で夕食の準備に取り掛かった。
□後書き
・・・・なんかおかしいな。おかしな擬似家族ップリが形成されている。どんどんテスタメントがお母さんになるよ?そしてジャスティスがお父さん?「あまり母さんを困らせるな」でも違和感ないじゃないか!
お母さんなテスタメントならいくらでも好きになれる気がする!(テスタメントファンに一回刺されて来い)

とりあえず駄菓子は、ヴィーが届かない流しの上にある備え付けの棚の中にテスタメントがしまいました。数種類入っていたので、一日一つずつという約束で。流しに上って取ろうとしていたところをジャスティスに見つかり、今は結界が張られている。・・・お父さんはお母さんの教育方針に反対しないようですね・・・。
お菓子が食べたいならテスタメントに作らせれば良いのに。(オイ)
風呂がないと文中いっていますが、クリフとヴィーは銭湯。ジャスティスは誰もいない水辺に転移で行って、一人行水じゃないですかね。見られて困ることはないけど、見せるもんでもないし。