カタカタとキーボードを打つ音や、紙をめくる音、紙の上をペンが滑る音。 物音だけがする部屋で、時計の音がやけに大きく聞こえる。 錯覚なのは判っているが、女はまとめていた書類から顔を上げて、壁にかかった時計を見た。 集中力が切れたのだ・と自覚しながら、無意識に丸まっていた背を伸ばそうと、ぐっと手を上に突き上げて伸びをした。 女が動いたことで、机に向かって一心不乱に作業していた男もふと顔を上げた。
本来この部屋では普段はもう少し人がいるのだが、休憩に行っていたり作業の為別室にいたり、今いるのは女と男だけだった。
女は机の上に広げた書類を纏めて端に移すと、机に手をついて立ち上がった。
「休憩にしない?コーヒーを入れるよ」
「ありがとう、私もそろそろ一息つこうかと思っていたんだ」
女の言葉に、疲れた顔でそれでも屈託なく笑うと、男はやれやれ・と溜め息をついて、目を通していた書類の束の一つを手に取った。
「こんな報告書じゃ・・・きっと上は納得してくれないんだろうな」
「また眉間に皺が寄ってる」
部屋のすぐ横にある給湯室から男のマグカップを持って女は出てくると、自分の眉間を指差しながら、だめだよ・と微笑う。 男は自分の眉間に指を当て、皺の後を消すように軽く撫でながら、女からマグカップを受け取った。 湯気と共に立ち上るコーヒーの香りに、男は頬を緩めて、
「ありがとう」
「どういたしまして」
男の笑顔に女も笑顔を返すと、女はまた給湯室に戻り、自分の分のコーヒーを持って机に戻ろうとするが、
「アリア」
呼び止められた女は、椅子を引こうと手を伸ばした形で止まり、男の方に振り返った。 男は部屋の角にあるパーテーションで仕切られた簡単なミーティングなどを行う―為にあったのだが、今では所員の私物や飲食物が山積みになっていて、そういう使用のされ方をしていない―テーブルを指差し、
「折角だからあっちで休憩しよう、これが視界に入ると息が抜けない」
苦笑いを浮かべて机の上に紙の山を指差した。 女がコーヒーを持ってテーブルにつき、乱雑に置かれたものを手に取り片付けていると、男は引き出しから出してきた小さな箱をテーブルの上に置いて、女の隣の椅子に腰を下ろした。
「チョコ」
どうぞ・と勧められて、女は箱を開けた。
「貴方がこういうものを持っているのは意外」
「まぁ・・・このテーブルの上には幾つも食べるものはあるから、それを食べても良いんだろうけど」
最初此処に食べ物を置いたのは誰だったのかは判らないが、食べ切れずに置いておいてもきっと誰かが食べるだろうということを繰り返して、この惨状になる。
「この前片付けたばかりなんだけど、片付けるたびに増えているような・・・・」
女はそういいながら、私物だろう雑誌の一つを手にとってぱらぱらと捲る。 片付けようと動く女の手を取ると、男はその掌に箱から取り出したチョコを置いて、
「今は休憩」
そう微笑うと、自分のコーヒーを一口啜った。 女は受け取ったチョコを口に入れると、チョコの甘さに頬を緩ませた。
「美味しい」
「気に入ってもらえた?」
「えぇ、とても。どこで買ったの?」
「雑誌に載っていておいしそうだったから取り寄せたんだ、喜んでもらえて嬉しいな」
「コーヒーにも合うし、とても美味しい。貴方が買ったものなんだから、見ていないで貴方も食べて」
「あぁ、でも喜んでもらえただけで私は十分満足なんだけど」
と笑う男に、今度は女がその手を取ってチョコを渡すと、少し眉を寄せ、
「私だけ太るじゃない」
と、小さく唇を突き出していう様に、男はますます頬を緩めた。
「君は痩せ過ぎているくらいだよ」
「皆そういうわ」
「そうかな?君の身長と体重だと絶対太っているということはないね」
はいはい・と適当にあしらった女に、自信満々にいう男。
「私の見たところだと君の身長は165〜6だろう?体重は―――」
「もう!意地悪なこといわないで・・!それ以上いったら本当に怒るわよ・・・」
女の静かな声に、男は言葉を飲み込んで、すまない・といいながらも頬を緩め、女にチョコの箱を差し出しながら、
「美味しいものは人と分かち合えば、よりいっそう美味しくなるものね。一つ私も頂くよ・・・機嫌を直してくれると嬉しいな」
「貴方のそれが外れたことあまりないのは知っているけど、他の人にはしちゃだめよ」
そういって微苦笑を浮かべ、女はチョコを一つ手にとり、口に入れた。 男もそれを見て同じようにチョコを口にすると、お互い顔を見合わせて、微笑いあった。
□後書き お前「あの男」をどう思ってるんだよ!といわれそうな一品。
・・・・人の良さそうな・・どこにでもいそうな好青年で、優秀だったと思いますよ?

アリアの「意地悪」といったのは、男がアリアの体重をいい当てようとしたからです・そしてそれは誤差がほぼゼロで当たるから止めた。 というか女性の体重をそんなもんだろうと思っても、口に出しちゃいかんよ。 多くいわれても少なくいわれてもばっちりいい当てられても、嫌なもんだから。